12月23日:ようやくニューデリーに到着





5時半頃電気がついたので仕方なく起床。しばらくはチャーイを飲みながら車内で購入した英字新聞を読んでいた。8時頃には下で寝ている韓国人も起きたので、下の座席に降りた。
その後、その韓国人2人組と拙い英語で色々話した。
彼らは日本のこと、例えばアニメのことなどをよく知っていた。「オタク」とか「三角関係」とかの日本語も知っていた。それに対して俺は韓国についてよく知らず、少し申し訳ない気がした。
なお、彼ら内の一人が言うには、俺は彼の友達に似ているとのこと。どうやら俺は韓国人といっても通用するらしい。逆に彼らも見た目は日本人と変わらない。考えていることも含めて俺たちはよく似ていた。
正直、最近の韓国という国に対してはあまり良い感情を持ってなかったが、一人一人話せば悪い奴らではない。それは多分向こうも同じ思いじゃないかと思う。

一方、周囲のインド人とも交流をはかった。隣に座っていたおっちゃんは俺が持っていた地球の歩き方に興味津々で、日本語を読めないにもかかわらず熱心に読んでいた。よほど嬉しいのかニヤニヤしながら読んでいるのが微笑ましい。そして、彼の故郷(西インドの砂漠地帯)が如何に素晴らしいか語り出した。また、俺が持っていた時刻表もインド人には珍しいらしく(インドの本なのだが)、熱心に読んでいた。
また、前に座っている小さな女の子2人を見ていると心が和んだ。
さらに、俺のサンダルの片方がどっかに言ってしまったが、前に座っていたおっちゃんがあたりを探しまくって見つけてくれた。インド人も親切だろう、みたいなことを言っていた。旅行者に寄ってくるインド人は怪しい奴が多いが、今回普通のインド庶民と触れ合えてよかった。

結局電車は定刻から5時間遅れ、44時間でニューデリー駅に到着した。
44時間も一緒にいた周囲の韓国人やインド人とは、あまり言葉は通じなかったが、なんとなく仲間意識が芽生えた。長旅だったが、なかなか楽しかった。ノーマル寝台車にしてよかった。
そして、13年前、30時間かけてデカン高原を横断(コルカタ→ムンバイ間)したが、今回はそれを遥かに上回る44時間でデカン高原縦断だ。またあの頃を超えた。自分の中では快挙だった。

さて、3時20分に到着して、それから宿を探す。財布にはRs4000ほど残っていたので、中級ホテルに泊まってもよかったのだが、最後まで攻めることにした。
歩き方に載ってる最も安いホテル、ナブランに向かった。残念ながらドミトリーは空いてなかったのでシングルに泊まった。Rs300。しかし、この宿、安いだけで他は最悪だった。部屋は狭くて汚いし、トイレ・シャワーは共同。停電しても自家発電機がないのか、そのまま。これぞ安宿というチープさだ。でもまあ、インド旅行らしくてこれも良し。
kimoi
写真:俺の部屋の壁には気持ち悪い絵が書かれていた…
チェックインして、3週間ぶりのメインバザールをウロウロした。
しかし、前回と印象が違う。前回は人と乗り物が発するエネルギーに圧倒されたが、今回は普通。行き交うバイクやリキシャーも無意識で避けられる。まったく余裕で通りを歩いている自分がいる。インド各地を回って、気づかぬ内にインドに随分と適応したらしい。ちょっと気分が良くなる。
chikentika昼飯はグリーンチリでチキンティッカマサラ、ラッシー、ライスを注文。Rs495と大盤振る舞いだった。ラッシーは水が怖いのでこれまで避けていたが、もう明日で終わりなので飲んでみたが、やっぱりこの夜下痢をした。

昼飯後、通りを歩いていると、よっぽど縁があるのか、あの韓国人2人組と出会った。彼らはこれからすぐにネパールに行くのだそうな。なんてタフな奴らなんだ。Rs2000しかないけど足りるかな、なんて相談を受けたが、彼らなら多分野宿でもなんでもして生き延びるだろう。ヨガの先生だし(?)。互いの健闘を祈って、握手して別れた。
dehli
写真:夕暮れのメインバザール
ホテルに戻って、久々にシャワーを浴びようと思ったのだが、まあ予想はしていたが、お湯が出ない。一応、ホテルの従業員に聞いてみたら、日本人はストロングだから大丈夫だろう、なんて言っている。インドは暑い国だが、冬の北インドは思いのほか寒かった。吐く息が白くなる、ということは気温が10度そこそこのはず。水シャワーはかなりキツイ。しかし、これも思い出作りと思って、思い切ってシャワーを浴びた。激寒だったが、なんとか体は洗えた。

夜寝るときも、寒かった。前夜に引き続き、レインコートを羽織って寝た。寒さにはギリギリ耐えれた。


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