2月23日:デリーでの戦い





newdelhi寒くて昨晩はよく眠れなかった。やっぱり寝袋を持って来れば良かったと思った。
しかし、電車はほぼ定刻通りにニューデリー駅に到着した。僕はアーグラー行きの電車の切符を買いに行く事にしたので、彼とは駅でお別れをした。切符は上手く買えた。

その後、メインバザールでホテル探しをした。客引きに捕まって色々ホテルを案内されたが、3軒目のホテルに決めた。安いがシャワートイレ付きだったのが気に入った。そして、荷物をおいて街をぶらついた。
このメインバザールは本当に活気のある商店街だ。また、インド有数の安宿街として知られ、世界中からバックパッカーが集まってくる。しかし、インド人が多くて外人はあまり多いように見えない。僕は日本人ということで目立つのか、コンニチハー、とかニホンとか、やたらと声をかけられた。

ところで、僕は所用があって郵便局に行こうとしていたのだが、どうやら道を間違えたらしい。キョロキョロしていると、一人の少年が「コンニチハ」と話しかけてきた。「こんにちは」とこちらも挨拶すると、ジャイアント馬場の話をしてきた。そして「ダッフンダ」「ダウーン」「だっちゅーの」等の日本のギャグ?を披露してくれた。日本語の先生に教わったのだそうな。郵便局に行きたいというと、彼は案内してくれるという。
カタコトの日本語と英語を話す彼と話している内に郵便局にたどり着いた。そこで所用を済ませた。しかし、それから彼は僕をそこで解放してくれなかった。彼は僕をどこかの観光事務所に連れて行ったが、明らかに怪しいので僕は中に入らなかった。
次はインド政府公認のエンポリウムに連れて行かれた。僕は嫌がったが、見るだけと言ったので仕方なく中に入った。商品は値の張るものばかりでだったのですぐに出てきた。
次はカシミール州のエンポリウムに連れて行かれた。その前に、僕は本当に嫌になったので「眠たいから帰りたい」と言って彼と別れたかったのだが、見るだけ、見るだけと、彼がしつこくいうので仕方なく中に入った。でも興味が全くないのですぐに出てきた。
そしてホテルに帰ろうとするとガイド料Rs200よこせと言ってきた。まあ、予想はしていたのでやっぱりなあ…という感じだった。僕の泊まってるホテルはRs150だぜ、と言ったらRs150でいいと言ってきた。そこからしばらく言い合いながら歩いた。俺は郵便局に案内した、2時間ガイドした、と言い立てるが、僕は自分が貧乏だと言い続けた。その結果、最終的にRs30になった。そしてこのあたりには俺の友達がいっぱいいるとか、警察につれていくぞとか脅してきた。それでも僕はRs30は高いのでRs3なら払ってもいいと言ったが彼もRs30は譲らなかった。結局彼は諦めてついてこなくなった。まあ、ほとんどダメ元で言ってたみたいで、最終的には彼は怒ってはなかった。
そして、この後もこんな押し売りガイドっぽい奴に2人出くわした。さすがに相手にしなかったが…。
しかし、この手の押し売りガイドに関しては本で事前に知っていたのでそれほど驚かなかった。まあ、正直不愉快だったが、思い出にはなった。

疲れたのでホテルでシャワーを浴びようとしたが、湯が出ない。仕方ないので水シャワーだ。少し寒いがそれはいい。どうもシャワールームの構造に問題があるらしく、水が外に流れて部屋がびしょびしょになった。こりゃまずいと急いで排水していて思った。やっぱ安宿だな…。

気を取り直して、もう一度街に出た。すでに夕方、初めて一人で飯を食いに行った。ターリーを頼んだが、不味くて量が多く、気分が悪くなった。
そうこうしている内に、夜になった。メインバザールも果物屋がいなくなり、衣類の店が多くなった。インドは思ったよりも寒かったので、僕は安いセーターを一枚買った。
そしてしばらくメインバザールを行ったり来たりしていた。夜も相変わらず人とリキシャーで混雑していた。
その後、ホテルに帰って寝た。昨日はほとんど寝てないので、すぐ寝れた。

Nさんがいなくても一人で今日はうまく乗り切った。100点。

【13年後のつぶやき】
今の俺なら道端でカタコトの日本語で話しかけてくる奴は絶対に相手にしない。目も合わさない。しかし、あの少年、今は大人になっているはずだが、どうしているのだろうか。もっと日本語を勉強して本物のガイドになってたらいいのに。


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