2月25日:発病
早起きしたせいもあるのか、どうも体がダルい。
しかし気にせず、6時発のシャタブディエキスプレス(特急)に乗ってアーグラーに向かった。乗車したときはまだ暗かったが、車内で日の出を見ることができた。そして線路脇で朝日に照らされ野糞をしている連中が興味深かった。
イントが誇る最新型の特急だけあってかなり速かった。2時間でアーグラーに到着した。ま
ずはアーグラーフォートを見物した。昨日見たラールキラーとそっくりだった。そして、あの有名なタージマハルに行ったが、金曜日は無料ということだけあってすごい人で、並ばなければならなかった。しかし、女性は特別にすぐに入場できるようだった。ここにいるインド人はみな身なりが良かった。
さて、中に入るとそこには写真と同じ「タージマハル」が存在していた。いかにもイスラムの宮殿っぽいなあと思ったが、これは霊廟なのだそうな。建物の中にも入ってみたが。確かに美しいがよく見れば大理石が少々欠けている。
すぐに出てはもったいないと思って座り込んでいたら、インド人が話しかけてきた。僕をネパール人だと思ったのだそうな。しばらくして、その場をはなれて少し離れたところの芝生に寝転んでタージマハルを眺めた。カメラを持ってきてなかったので、脳裏にその姿を焼き付けようとした。
そんな感じでタージマハルを堪能して、駅に戻ることにしたのだが、リキシャーの客引きの数が多いし、しつこい。でも、なんだか彼らは客引きを嫌がる僕の様子を見て喜んでいるようだった。最後に来た奴には例の「この人は本当に良い人で、最高の思い出ができました」などと書かれた紙を10枚以上見せられた。もう帰るからと言って断った。しばらくすると子供がハローを声をかけてきた。返事をすると大いに喜んでいる。子供はいいなあと思った。
しかし、駅に入った後、物乞いの子供にバナナをくれとしつこく付きまとわれた。汚い服を来た少女だ。その後、老婆がやってきてぶつぶつ言いながら手を差し出してくる。あの少女も歳を取るとこんなふうになるのだろうか。
電車は1時間遅れでやってきた。自分の席がわからなかったので、ドアのところに座っていたが、しばらくして車掌が席を教えてくれた。席に座ると眠たくなったのでウツラウツラしていると、周囲のインド人が「上の寝台で寝たら?」、と言ってくれたのでそうした。僕に話しかけてくるインド人はすべて詐欺師だと思っていたので、こういう親切は嬉しかった。
しかし、寝台で寝ていると、急にしんどくなってきた。すごく寒くて体が震えてきた。これは熱が上がっていうときの感覚だ。
なお、ニューデリー駅についた時も周囲のインド人が教えてくれた。結局夜10時にホテルに到着した。
【13年後のつぶやき】
まず、タージマハルの金曜無料は今はやってない。今は金曜日は休みのようだ。
朝から体調が悪いにもかかわらず、この日も早朝から夜遅くまで活動している。リキシャーも利用せず、歩きまわった一日だった。
よもや病気になるなんで思いもよらなかった。
この後、病状は一進一退するが、インド滞在中、いや、日本に帰ってから1か月後ぐらいまで治らなかった。
40日の日程のうち、元気だったのははじめの6日間だけで、後は病気との戦いだった。楽しいことなどない、苦しいだけの日々がこの日から始まった。