3月15日:ついに入院→英語で命乞い!
僕の平衡感覚はますますおかしくなっていた。そして、この日、ベッドの上の段から落ちてしまった。普通なら絶対に落ちないが、なぜだか分からないが落ちてしまった。しかし、その時たまたま下に人がいて、彼の上に落ちたので僕は大丈夫だった。もちろん彼にはお詫びした。
しかし、しばらくして再び落ちてしまった。今度は下に誰もおらず、床に落ちた。しかも頭から落ちてしまった。僕はしばらく起き上がれなかった。異変に気づいた周囲の人達が集まってきた。その中には日本人も数人いた。どうしたの?と訊かれたが、頭を打ったせいか、僕はうまく言葉が出なくなっていた。歩けるか?と言われて歩いてみたが真っ直ぐ歩けなかった。周囲の人は気の毒そうに僕を見ていた。
もう、誰が見てもダメだった。
親切で、しかも英語が話せる日本人の人が僕を病院に連れて行ってくれた。
一応、近代的な病院に連れて行ってくれたのだが、まだ朝早かったので医者が来てないと言われて断られた。しかたないのでその前にあったボロい病院に入ることになった。
しばらくして、この病院の医者がやってきた。ここに連れてきてくれた親切な人が、僕が頭を打ったこと、そしてずっと体調が悪かったことなどを説明してくれた。そして頭と病気の検査することになった。
本当に彼には感謝した。神に祈るが如く、手をあわせて御礼の言葉を述べたら、あまりに大げさだったせいか彼は戸惑っていた。しかし、確実に僕の英語力では自分の状況を医者に説明できなかった。彼は僕にとって神に等しい命の恩人だった。
ところが、残念なことに、彼も明日にはカルカッタを去るのだという。そのかわり彼は同じホテルにいた人達に明日見舞いに来るように頼んでおくと言って、帰っていった。
頭部の検査は前の近代的な病院でレントゲンを撮った。検査結果は5時半に出るのだという。
他には身体検査、採血、検尿、検便の検査をした。
検査が終わると点滴を打った。
しかし、その最中、腹が痛くなってトイレに行きたくなってきた。看護婦にトイレに行きたいから点滴を外してくれと頼んだが、聞いてくれなかった。そしたらシビンを渡されたので、そこにしろという意味かと思って、そこに下痢便をした。しかしこれが誤った判断で、結果的に看護婦たちを激怒させた。数人の看護婦が俺の部屋にやってきて、その内の一人がエラい剣幕で俺に向かって何かを言っている。僕は謝罪しなかったのでかなり険悪なムードになった。
その後、5時半になったから検査結果を取りに行かなくてはいけないから点滴を抜いてくれと頼んだが、これも無視された。
何かこの病院は変だ。これまで僕の出会ったインド人の所業を鑑みるに、こいつらも良からぬことを考えているに違いない。
僕はこの病院を出ることにした。点滴を無理やり引きぬいたので、血がポタポタ流れたが、気にしている場合ではなかった。そして荷物をとってすぐ病院を出ようとした。金は入院した時に払っていたので問題はないと思った。
しかし、どこからともなく数人の男が現れて僕を取り押さえた。多少抵抗を試みるが、体の弱り切った僕は簡単に部屋に連れ込まれ、床に押し付けられた。しばらくして医者がやってきて、カバンから注射器をとりだした。その中にはピンク色の液体が入っていた。
これは毒だ。やばい、殺される!と僕は戦慄した。
僕は恥も外聞もなく、命乞いをした。
「Save my life! Only life! Please!」(どうか命だけは助けてください)ということを叫びまくった。人生最大の恐怖でピンチだった。
しかし、医者は容赦なく僕の尻にピンク色の液体を注射した。
すると体から力が抜けてグッタリした。
死んだ…。そう思った。
【13年後のつぶやき】
この日は今に至るまで自分の人生でもワースト3に入る日だった。日本人の中で、本気で命乞いをしたことある人って何人ぐらいいるんだろう。しかも英語で。
頭を打って一時言葉が出なくなったが、それはしばらくして自然に回復した。
ところで、ドミトリーのベッドが上の段ではなく下の段だったら、ベッドから落ちないで、別の展開になっていただろう。アンラッキーだった。
あの時、病院に連れて行ってくれた人には本当に感謝している。また、そんな人が傍にいて俺はラッキーだった。
しかし、病院に行く時間が後もう少し遅ければ、近代的な病院に入院できたはずなのだが。そこで運命が変わってしまった。これはアンラッキーだった。
もう、自分の運命は天のみぞ知るという感じで、翻弄されっぱなしだった。しかし、それも自分の力の無さ故だ。もっと正確な状況判断ができれば、もっと英語が話せれば、よりマシな未来になったはずなのだが、未熟なのに勢い任せでインドに来てしまったツケが回ってきたのだろう。
シビンにうんこをしたのは失敗だったのだが、あの時の状況からすると仕方なかった。ただし、俺はそれまで入院したことは一度もなく、点滴もしたことがなかったので分からなかったが、基本的に点滴をしたまま移動はできるし、うまくやれば点滴を連れてトイレに行く事もできたのかもしれない。ただ、もう当時の点滴がどんなだったかは詳しく覚えてないので検証不可能である。