3月16日:看護婦との戦い





…昨日は死んだと思ったが生きていた。あの注射はおそらく睡眠剤か鎮静剤かだろう。
とりあえず、僕はベッドで寝ていた。ただし、僕は怒っていた。金は払っていた。しかし、なぜ自分の意志で退院できないのか。この病院に僕を引き止める権利があるのか。おそらく入院費を搾取するため僕を入院させておきたいのだろう。入院費は1日Rs600と中級ホテル並の金額である(当時Rs1=3円)。長期間入院させておけば大金になる。そして僕の持ち金がなくなったら外に放り出すか、あるいは殺すのかもしれない。

部屋の入口にはずっと看護婦が座って僕を見張っている。昨日逃げようとしたからだ。しかも、僕の部屋はこの病院の一番奥にあって、病院を出るには長い廊下をわたらなくてはならない。例え看護婦を振りきっても、これではすんなりと逃げることができない。
要するに僕は監禁されているのだ。

医者も看護婦も犯罪者で敵だ。そう思ったので、僕の看護婦たちに対しては人を人とも思わない態度をとった。死ねとか平気で言っていたし、向こうも激しく僕のことを非難していた。看護婦は数人いたが、その中でも最も口うるさいのが僕の担当のようで(後日、彼女は他の看護婦からも嫌われていることが判明した)、特に奴とは本気で口喧嘩していた。
食事は出された。しかし、それには毒が入っているかもしれないし、そうでなくとも、敵対する奴から出される飯など食べたくなかった。ハンガーストライキのつもりで拒否した。
しかし、昨日から何も食べてない。その前日も殆ど食べてなかった。夕食も拒否した後、寝る時間になって僕は急に不安になった。とにかく腹が減った。明日も明後日も食べないというわけにはいかない。もし意地を張ってずっと食べないと、死ぬ。
食べたい―。
僕は我慢しきれず泣きながら叫んだ。
「Food, Water!!」
何だ何だと看護婦達がやってきた。僕は何度も何度も食料と飲み物を要求した。泣きながら。
これには看護婦たちも呆れたみたいだが、気の毒に思ったようだ。しばらくしてビスケットと紅茶を持ってきてくれた。
「赤ちゃんみたい」
と言われたが、極限状態だったので恥も糞もなかった。
ハンガーストライキは一日もたずに終了。僕の完全敗北だった。

【13年後のつぶやき】
必死の命乞いも結果的には勘違いだったが、死の恐怖は本物だっった。
ハンガーストライキの話はバカというか、かなり不可解な行動である。このあたりで既に精神がおかしくなっていたようだ。体調は最悪、言葉もあまり通じず、そして監禁されるという極限状態は、21歳の未熟な若者にはキツすぎた。



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