3月24-日:和解
色々考えていたのだが、看護婦達とこのまま対立するのは得策ではない。ただでさえ絶望的な状況なのに敵を増やすことは更に状況を悪くする。仲良くなると、ひょっとしたら逃がしてくれるかもしれないし。これまでの作戦を変更して看護婦達との関係改善に動いた。
まず、看護婦達の指示には一切逆らわないようにした。薬もちゃんと飲んだ。そして、事あるごとに挨拶をしたり、感謝の言葉も述べるようにした。そして全般的に(作り笑いだが)笑顔で対応するようにした。
そしたら、一気に関係は良くなった。世間話もするようになったし、よくわからんが一躍人気者になった。「お前は私の息子だ」とすら言われた。
思えば、このボロい病院は外人旅行者は入院するような場所ではないので、日本人が入院するなんて前代未聞だったのだろう。みんな僕に興味津々といった感じで僕の事や日本の事を知りたがった。
あの一番鬱陶しかった看護婦とも一応仲直りした。しかし、この人はやっぱり変だった。「Killって日本語でなんていうの?」とか訊いてきて、「ころすだよ」って答えたら、「ころす、ころす」と僕に向かって言ってきた。笑ってるし冗談なんだろうけど、あの状況では洒落にならない。また、彼女が休みの時には他の看護婦がよく彼女の悪口を言っていた。インド人社会の一端を垣間見た気がして、それはちょっと面白かった。
しかし、医者との関係は相変わらず悪かった。
あるとき、看護婦がシバ神の絵を持ってきて「お前の病気が治るようにお祈りしろ」と言われた。祈り方も教えてくれて、手をあわせて「オールナマシバ」というらしい。発音がよくわからなかったが「王・長嶋」と言えばよいようだった。「さあ、お前やってみろ」と言われたのでそのとおり祈ったら、なぜか看護婦達は大ウケ。
しばらくして、診察のために医者がやってきたので、看護婦達は嬉しそうに「さっきのやってみろ」と言ってきた。そのとおりにしたら、医者は、
「お前は外人だからそんなこと言うな」
と言い放った。これには看護婦達も凍りついていた。
ところで、食事に関しては1日3食出ていた。
朝は紅茶とビスケット、昼と夜はカレーだった。
食事は基本的にまずかったが、時々魚かチキンが入っていた。これだけは嬉しかった。
体調は悪かったが、食べないと死ぬと思ったので不味くても食べた。
【13年後のつぶやき】
要するに敵は病院全体ではなく医者だけという判断だった。
しかしこの医者は海外で学位を取ったエリートだった。そしてエリート意識が高いらしく、俺はものすごく見下されていた。あんな目で見られたことはなかった。人を人とも思わないような冷たい眼差しだった。カースト的に言うと俺は最下層と思われていたのかもしれない。
また、看護婦達も医者にはモノが言えないようだった。