3月27日:最後の大勝負





僕は焦っていた。帰りの飛行機は3月30日なので、そろそろ退院しないと日本に帰れなくなる。また、航空会社にリコンファームしなくてはいけないので電話をかける必要もあった。
医者や看護婦からは病気が治らないと退院させないとずっと言われてきたが、そうも言ってられない。体力的にも精神的にも限界だった。この日に帰れなければ、僕は死ぬだろう。
僕は最後の力を振り絞って退院計画を立てた。まず、病気が治ったフリをした。体温を測るときもワザと空気で冷やしたりして平熱にした。また、しんどくてたまらなかったが、元気のフリをした。僕は治ったとガッツポーズしたりして、治ったことをアピールした。
india memory
写真:ガリガリにやせ細った腕でガッツポーズ。痛すぎるシーンだ。なお、隣は優しかった看護婦。
そして、医者と面談した。命を懸けた、最後の大勝負だった。
飛行機に関してはチケットを見せて、そろそろ退院しないと日本に帰れないことを必死に伝えた。また、この飛行機を逃したら日本に帰る金がないことも伝えた。そして、病気は治ったとしつこくアピールした。うまく話せないことは紙に書いた。さらには手振り身振りを交え、全身全霊で訴え続けた。できることは全部やった。

医者は言った。
「わかった。退院していい。リコンファームの電話もかけていい。ただし、ドクターチャージとして入院1日あたりRs500を払え」
結局、保釈金を払って出ていくことになったが、とにかく退院が決まった。

部屋に戻って嬉しくて泣いていると、看護婦からは子供みたいとからかわれた。しかし、退院に関しては祝福してくれているようだった。
そして、最後の力を振り絞って帰国準備を始めた。ルピーがなかったので、両替に行く必要があった。これには病院職員の付き添いで外の両替所に行った。久しぶりに外出して、ただ外出しただけなのに感無量だった。次にカルカッタから空港のあるムンバイまでも電車のチケットを取る必要があった。これに関しては、その職員の友達という人物に代行を依頼させられた。多少割高にはなったが、チケットは取れた。

もう一息、もう一息で日本に帰れるんだと、極限状態ではあったが、命を振り絞っていた。

【13年後のつぶやき】
この旅行中、退院決定は最も嬉しい出来事だった。というか既に旅行じゃなくなってるが(笑)。


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