3月8-10日:クミコハウスでの生活(後編)
3月8日。この日はカルカッタまでの切符を駅まで買いに行った。サイクルリキシャーに乗ろうとしたら、運転手同士が僕を奪い合って揉めだした。争奪戦に敗れた運転手は激怒して僕の乗ったリキシャーのタイヤの空気を抜こうとした。その間に、他の運転手が俺のに乗れよと言ってきたりして大変だった。彼らも生きるために必死なのだ。
しかし、僕の乗ったリキシャーはダメだった。駅までRs10と言っていたのに、乗ってる途中で1kmRs10とか言い出した。しばらく口論したが、結局僕は頭にきて走行中のリキシャーから飛び降りた。駅には別のリキシャーで行ったが、そいつも降りる時にRs10の約束だったがRs20よこせと言ってきた。当然無視した。一方、帰りのリキシャーは決めた料金で行ってくれた。拍子抜けするほど何もなかった。それが普通なのに感動してしまった。
それはともかく、切符はとれた。3月10日の夕方にカルカッタに向けて出発することになった。その日まではクミコハウスでのんびり過ごすつもりだった。
3月9日。特にすることもなく、部屋でゴロゴロしていた。ドミトリーで僕みたいに昼も部屋にいる奴は少数派で、大体はみな外出していた。まあ、昼間から趣味の悪い音楽かけてガンジャやってる奴もいた。こいつら、すげー感じが悪かった。他の旅行者が友好的に話しかけても、「ふーん、それで?」みたいな対応をしていた。早く逮捕されたらいいのに。
しかし、こいつらを除けば、ここは居心地が良い。
部屋でゴロゴロしていると毎日いろんな旅行者がやってくるのを見かけた。エベレストに登ってきた人、カシミールの紛争地帯でインタビューしてきた人などすごい人もいた。反面、インドになじめず早く帰りたいと言っている人もいた。
3月10日。カルカッタには夕方出発なのでそれまでいつもどおりのんびり過ごした。朝は他の旅行者と一緒にボートに乗った。ボートからの眺めは良かった。そして河の対岸にも行った。ずっと砂地が広がっていた。ガンジス河には指先をちょっとだけつけた。沐浴のつもりだ。日本人でもここで泳ぐ人もいるようだが、その後原因不明の病気になったという話はよく聞く。見た目からしてキレイな河ではないし、僕はまったく泳ぎたいと思わなかった。
夕方になってチェックアウト。クミコハウスの料金は自己申告制だった。僕はきちんと計算して支払った。それにしても趣味で経営しているとしか思えない料金とシステムだった。
クミコハウスには長居をした。部屋にあった宗教書を読みまくったお陰で幸福の科学や創価学会について詳しくなった。
そして体調も少しだけマシになった。
バラナシ駅では、結局2時間遅れで電車がやってきた。自分の乗る車両を探している内に電車が動き出したので、適当な車両に飛び乗ったのだが、そこが超満員で、体が全部入らず、入り口から半分体が外に出た状態で手すりにつかまって次の駅まで我慢した。手すりから手を離したら死ぬ状況だった。30分ぐらいだったが泣きそうだった。結局次の駅で自分の席にたどりつけた。
【13年後のつぶやき】
今はどうかしらないが、バラナシの街を歩いていると売人からよく声をかけられた。でもガンジャやってる奴は糞だとクミコハウスにいる連中を見て思った。
クミコハウスは良い所だったが、バラナシ自体はインド及びインド人が嫌いになるような出来事が頻発した。快適な旅をしたいならバラナシには行かないほうがいいだろう。
この時点で旅の日程は半分を消化した。この時は体調が悪いものの、だましだまし旅ができたが、それもここまで。次の行き先、カルカッタ(現コルカタ)で一気に暗転する。