4月前半:隔離病室





腸チフスは法定伝染病であり、患者は伝染病専用の病室に入ることになる。
僕の入院した部屋は扉が2重で、食事の出し入れの部分は殺菌灯がついていた。空調は中の空気が病院内に行かないようになっていた。部屋の空気はおそらく浄化して外に排出されるのではなかろうか。ただし、腸チフスはコレラと違って空気感染しないので、そこまで厳重にする必要はなかったと思う。
もちろん僕は外出禁止だった。再び監禁生活である。
しかし、インドの病院に比べてここは天国だった。清潔で静かで、飯が美味い。
日本でも一般に病院食は不味いと言われることが多いが、インドで本当に不味い病院食ばかりを食べてきた僕にとっては、日本の病院食は超ご馳走だった。体調が悪くても食欲は旺盛だった。毎食ご飯は特盛だった。それは体が求めていたのだと思う。
インドに行く前の体重は60kgだったが、帰ってきたら49kgになっていた。脂肪だけではなく筋肉もげっそり落ちていた。元々痩せ型の体型だったが、ミイラのようになっていた。

インドでも検査は受けたが、ここでも検査を受けた。まず、腸チフスなのは間違いないが、他にもパラチフスとかの病原菌が多種類検出されてすごいことになってたらしい。パラチフスは腸チフスと親戚のような病気で同じく法定伝染病なのだが、ダブルで感染していたとは、しんどいはずだ。
肝臓等の内臓機能もかなり低下していた。また、血がかなり薄くなっているらしい。他にも色々言われたが、とにかく体はボロボロということらしい。

担当医とは色々話をしたが、インドで受けていた治療についても話した。点滴をして、薬を飲んできたことなど、その薬も実物を見せた。担当医が言うには、それはおそらくビタミン剤か何かで、腸チフスの為の薬ではないそうな。体力を回復させて自然治癒させようという方針だったのかもしれないが、医者に積極的に治療する気がなかっただけなのかもしれない。とにかく僕はインドではまったく良くなってなかったので、そのぶん日本での入院は長引くことになった。

入院して2週間ぐらいは病状は良くならなかった。朝方は37℃台の体温が夜になると39℃あたりまで上がった。これを毎日繰り返した。下痢もおさまらなかった。
ただし、病気以外の存在と戦わなくていいのは楽だった。あの医者や看護婦との戦いの日々が懐かしい。

【13年後のつぶやき】
あの頃は若かったから生き残ったけど、今なら死んでたかもしれない。
2月末にデリーで発病して、一応治るまで2ヶ月かかっているが、腸チフスだけではここまで長引かないはずで、他の病気も影響していたのだと思う。

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